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■ニュースフラッシュ
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フォークダンス、スカートふわり心も躍る(夕&Eye面)
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熱心に練習するフォークダンスサークルのメンバー(横浜市都筑区) | 全身運動、脳に刺激、広がる輪
青春時代の甘酸っぱい思い出を再び――。世界の民族衣装を身にまとい、華麗にステップを踏むフォークダンスの輪がシニアの間に広がっている。リズムに乗る躍動感、仲間と輪になる一体感。そんな楽しさを感じながら、各国の伝統文化に親しめることが魅力のようだ。
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波頭旗頭 サミット前哨戦、環境政策競う(ひと面) 日本語で施策説明、技術売り込みに力
地球温暖化問題への関心が高まる中、各国の駐日大使が自国の環境政策を熱心にアピールする姿が目立っている。講演会や自国と日本企業の橋渡しに取り組む。7月に日本で開く先進国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)で環境がテーマになることを意識している。
なかでも2020年までの温暖化ガス排出量20%削減を決め、環境対策に積極的な欧州諸国の動きが激しい。
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渡文明さん | こころの玉手箱 新日本石油会長 渡文明さん(夕刊文化面) 現場重視の攻めの経営でならした新日本石油会長の渡文明さんには、心の故郷がある。
小学校1年から5年まで、戦争のため疎開で過ごした島根県の旧阿須那村だ。近所のおじさんにアユ捕りを教わった出羽川。実りの秋に柿やクリ、キノコなどを採りに出かけた近くの山……。自然に飛び込んでのいろいろな体験をする中で、命の尊さや様々なことを学んだ。
大阪支店時代に発見した庭巡りの楽しみ、40歳前の2カ月に及ぶ入院生活を支えた読書、石油輸入交渉の相手のクウェート皇女から贈られた民族衣装をめぐる心打つエピソードなど、人生の折々を彩った品々や風景を縦横に語り尽くす。
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疎開先だった島根県の旧阿須那村。自然に恵まれた「心の故郷」だ。
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入社4年目の大阪転勤を機に、休日は独りで京都の庭園を訪ねるようになった。
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40歳を前に急性肝炎で倒れ入院。そのときの読書が「生き方」を考えるきっかけになる。
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クウェートでの原油輸入交渉では、民族衣装に着替えてテーブルを囲むことに……。
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村山敦さん | 人間発見 関西国際空港会社社長 村山敦さん(ひと面) 関西の空に夢を描く
今月初め、松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更すると発表した。このニュースを感慨深く聞いたのが、元副社長で今は関西国際空港会社の社長を務める村山敦さん(69)だ。自分を育ててくれた地域への恩返しの思いを込め、未知だった「空の世界」に新たな夢を描く。
京都出身で、1961年に松下に入社。いわゆる「中村改革」と呼ばれた大赤字転落後の社内改革をリードすることになる村山さんだが、入社後に与えられた仕事は希望の企画や営業に反して広報や人事。思うに任せない社会人人生のスタートだった。
大きな転機となったのが、80年から足かけ7年に及ぶ英ウェールズ工場への駐在。経営不振の現地工場へ取締役総務部長として送り込まれ、現地特有の労務問題を意識改革を通じて解消していくことに成功した。
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関空会社の社長になったのは2003年の6月です。
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当時のウェールズは日本企業の誘致に熱心で、松下だけでなくソニーさんのテレビ工場もありました。
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松下の経営改革を今から振り返ると、デジタル化やグローバル化という大きな変化に、伝統的な日本企業がどう対応するかという実験だったと思います。
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松下には「雇用に手をつけない」という不文律がありました。
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ジョン・カーワンさん | 駆ける魂 ラグビー日本代表ヘッドコーチ ジョン・カーワンさん(スポーツ面) ラグビーの日本代表を率いるカーワン・ヘッドコーチ(43)は世界的なスター選手だった。本場ニュージーランド出身。身長190センチの体格と100メートル11秒台のスピードを併せ持つ「怪物ウイング」として名をはせた。ワールドカップ(W杯)には2度出場し、1987年の第1回大会で初代王座とトライ王に輝いた。
現役時代の最後は日本のNECで過ごした。勝負にこだわる姿勢をチームに植えつけ、チームが中堅から強豪へと成長する道筋を付けた。
昨年、日本代表のヘッドコーチに就任した。徹底しているのは、綿密なデータ分析と選手との密な個人面談。しかし、9月のW杯フランス大会までは実質半年しか準備期間がなく、1分け3敗に終わった。大会後も続投。基盤づくりはまだ続く。
(月―水に掲載)
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本場出身の世界的なスター。日本で現役にピリオドを打ち、その後、日本代表を率いてワールドカップ(W杯)を戦った。
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選手として栄光の絶頂だった1987年、恥辱にまみれた91年。イタリアを率いた2003年。
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日本人スタッフとはほとんど日本語でやりとりをする。昨秋のワールドカップ(W杯)期間中も、午前5時に起きて日本語の教本に向き合う姿をスタッフが目撃している。
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